アルティメット・ノベルゲーム・ギャラクティカ 感想
はじめに
自分のブログではもはや習慣となっているこの序章は果たして必要なんだろうか?
考えてみた結論としては「読み手にとってはいらないが、書き手には必要」だ。
つまるところ、この章は本格的に文章を書き始めるための準備運動みたいなものだ。
つくづく読み手を意識していない書き方をしているなあ、と笑ってしまうが、このブログの目的は備忘録のようなものなので、これでいいのだ。がはは。
というわけで、序章です。
前回の記事を読んでもらえればわかるとおり、少し前にスレスパから解放され、しばらく何をしようかしらと考えていた。せっかくなら、また長期間かかるものに着手する前に、今まで積んできたゲームなり本の中から面白そうなのを見繕ってやっておきたかった。
そこで今回は、人工くらげさんの「アルティメット・ノベルゲーム・ギャラクティカ(以降unvgg)」をやろうと思った。
夏の終わりに、
主人公はひょんなことからノベルゲームをつくることになる。
とりあえずシナリオを書き出してみたら
紙の上でも現実でも、
事態は思いがけない方向へ展開しはじめる。(Melonbooks作品紹介)
人工くらげさんの作品では今までに「ビフォー・アライビング・アットザ・ターミナル」や「つまり人間」を読んだことがあり、はまりつつある。実はunvggも1年だか半年前にほんの少しだけプレイしたことがあったが、たしかその時はオタクサークルのノリみたいなものについていけずに断念したんだったような気がする。
そんなわけでしばらく放置していたわけだが、今回初めて見ると驚くほどすんなりと作品に入り込むことができた。この期間に自分が変わったのか、あるいは単純にプレイするときの気分によるものだったのかは不明。
むしろ、「ああ、自分もこんな経験してみたかったなあ」みたいなシーンがてんこ盛りだった。そもそもの話として、アニメをつけっぱにして友達とゴロゴロするとか絶対楽しいだろ。過去の自分はどこが気に入らなかったんだ?
具体的なシーンなどはこの後で詳しく書いていこうと思う。
というわけで、序章でした。
感想
今回は、あらすじまとめとかそういうのはやらずに単純に思ったことを羅列していこうと思う。wordにメモしながらプレイしていたので最初はそれを張り付けるだけにしようかとも考えたが、さすがに読ませる気0の記事になってしまうのでちょっとずつ体裁を整えて書いていこうと思う。
特に印象に残ったシーン
プレイ中にセリフを書き写すくらいには気に入っているものを並べていこうと思う。
野之原に「そういうの自分で書いてくださいよ」と言われたとき、戸惑いながらも「書いてみたい」と思ってしまっていた。それをこいつに見透かされているんじゃないか。あの時そう感じていた。頭の一方では「そんなことできるわけない」と考えながら、もう一方では「やってみたい」と思っていた。ああいう気持ちは何ていうんだろう。そうだ、「まんざらでもない」だ。自分で思いついた「まんざらでもない」という言葉に、少し気分が悪くなった。その言葉が持っている余りの“ねばねばした感じ”に。
ノベルゲームを作ろうかと考えているあたりのモノローグ。
確かに、こういう感情は自分にも憶えがある。でも言語化する前に消えてしまっていた感情?思考?を言語化してもらえた感じがしてすっきりした。
さらに、言語に対してはあまり使われることのない"ねばねば"というワードだが、確かにこう言うこと考えてまんざらでもないと思っている自分に対して「何様なんだ」みたいな感情が生まれてそれを表現しているのだろうかと思った。
駄目だ、この"ねばねば"が的を射ていると思った理由を言語化しようと思ったが、うまくできなかった。感覚では答えにたどり着いているのにそこに理由付けできない。
ここを言語化して残すことがこのブログの意義なはずなんだけどなあ。謎の敗北感に打ちひしがれる。
教室のドアを開けた途端、熱気と、大勢の話し声と、むわっとした酒の香りがぶつかってきた。入ってすぐのところにいた3回生が「おお!山賀さん!こんばんは、お久しぶりです」と赤い顔で笑いかけてくる。「久しぶり」と僕は少し圧倒されながら答え、「OBって、誰か来てる?」と教室を見渡した。「えーと、岸本さんとか機見さんとか、来てはりますけど。あと、お名前存じ上げない方が何名か」その後輩は階段教室の上のほうを指さした。礼を言って、教室を登っていく。黒板の前に降ろされた巨大なスクリーンには「朱手の遣い」のエンディングが映されている最中で、横を通り過ぎた机では、トレーディングカードゲームのプレイマットを挟んで後輩が2人向かい合っている。傍らに缶ビールを置いて。その向こうでは、ノートパソコンを開いて何かの動画を流していて、数人の人だかりができていた。うん、と僕は少し安心する。いつもの学祭の夜だ。
学祭の夜にサークルで集まっているシーン。学部生から院生までいてお互いに上下1学年くらいまでしか話したこのもない人たちが、同じ空間で「アニメが好き」という一つの共通点をもって集まっているのがよかった。
自分はアニメなどの話をするときは1対1のことがほとんどでそういうサークルには所属していなかったため、こういう雰囲気がとてもうらやましく感じてしまう。
別にみんなで一緒に何かをするわけでもないんだけど、アニメとか映画とかをBGMにしながら各々好きなように出入りして、でも一種の拠点のような安心感があって、、、みたいな。この先のシーンでも、初めて会うOBの人が自己紹介で今期の好きなアニメを言っているのがツボだった。たしかにこの場では一番わかりやすい自己紹介だ。
プレイ中の感想
早くもしっかりとした文章書きに疲れてきたので、ここからは箇条書きで行こうと思う。この先はろくに説明もしていないのとネタバレを多く含むので未プレイの方はブラウザバックしてください。
- 火の七日間っていうイベントを開催年は毎日ノートに記録しておくの楽しそう。絶対7日目の記録とか後から見直したら面白い
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主人公の成長に合わせて作者自身がオセロの勉強をしていくことで成長をよりリアルに描く、か。若干言い訳というか詭弁じみたものを感じるけど筋は通っているような気もする。
- 1章のほとんど同じシナリオを3回読まなきゃいけないのはちょっときつかった。趣旨がわかってからは別物として読めるが、それまでは単純に別ルートとして読むので、「これ読む必要あるか?」と少し思ってしまった。
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オセロ部の下校シーン。時間ギリギリでみんな急いで片づけていくところ。
言葉にせずともそれぞれが自分の役割をわかっていてカチッとはまるのは見ていて気持ちがいい。仕事にあこがれる数少ない理由の一つ。
- 確かに、脇役の立ち絵を書かないことはコストを抑えるためではあるが、見る側に脇役であることを理解させやすくする効果もある。アニメなどとは違ってシーンやキャラに濃淡をつけやすいのはノベルゲーならではだろう。
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あとから振り返って選択肢が存在していて自分が無意識に選んでいたことに気づくことが多く、そういう後悔をしたくないからノベルゲームでは選択肢がある。
通り過ぎてから過去の選択肢が初めて見えるようなシステムのゲームあったら面白いかも。具体的にどうやるかは知らんけど。
- (世界が分岐した年を確認するシーン)
戦隊ものが好きだからこそ、過去の戦隊もののタイトルを列挙していくことでいつから分岐したか検証できるの面白いな。彼らにしかできない方法。
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機見さんの研究発表が急遽明日に入ったため火の七日間戦争は終了。こういう終わり方悲しいよね。。遊んでるときに来る仕事とか研究とかの連絡ほど萎えるものはない。
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立ち絵を画面の端に見切れさせて配置することでカウンター席で隣に座っているから視界の端にいるとわからせるのはうまい表現。
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四条河原町とか行ったことある地名や写真が背景として出るとうれしい。
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3つの世界を行き来する間隔がだんだん短くなっているなとは思ったけど、この演出をやりたかったのか!これはアツい!3つの世界それぞれのアツい展開を同時進行で見ていくとか贅沢すぎんだろ!
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美術館といえば、友達の美術館で絵よりも見る人たちを観察して面白かったという話を思い出した。近づいてタッチを詳細に見る人、遠くから眺める人、時間をかけてみる人、説明書きを端から読む人、スマホで検索する人など、いろんな人がいて、たくさんの楽しみ方、ひいてはもののとらえ方を知れる。
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アダプティブガレルキン法(作中に出てきた)
Adaptive wavelet Galerkin methodが検索に引っかかったけどこれのことか?
なんか固体力学の空間の取り方に関する手法っぽい。それ以上は理解するの大変そうだからパス
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この作品全般的にそうだけど、こういうテンションを無理に上げない「これ楽しい?」と傍からは思われそうな自然体で鍋やったりだらだらするのいいよね。
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結婚式ってアニメとか作品でしっかりと描かれているのを見たことがなかったから知らなかったけど、エモいイベントてんこ盛りだったのか
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自分もこれから参加することはあるだろうし、もしかしたら開くこともあるかもしれないわけだが、どうしても嫌な妄想をしてしまう
自分のように友達の少ない人はどうするのだろう。人の結婚式に一人で行って話せる知り合いがいなかったら式場ぼっちになるわけで、それは嫌だなあ、とか、開く側でもどこまで招待状送るかとか悩みそう。自分の中学の友達と大学の友達が同じ空間にいるとか自分自身が居心地悪そう。とか。しょうもないとわかってはいるけど。
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この作品を見ていると、物事のタイミングってホントに重要なんだと思う
同じことでもタイミングが少し違うだけで全く違う展開になる
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いいなあ、このラーメンとかご飯食べてきて、また教室に戻ってくるような気楽だけど帰ってくる場所がある感じとか、みんなでアニメをBGMにしてがやがやするのとか、ちょっとあこがれる
でも、現実でこういうサークルに行ったら監督とか声優とかそんなに知らない自分はそこまでなじめないんだろうか、とか考えると少し寂しい
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(unvgg開催シーン)めっちゃアツい展開だけどこの光景想像したらちょっと笑える。みんな山賀なんだよな
この作品は「コミケを全部自分で開催したら面白そう」というところから作り始めたりして?
- 一つの作品になってしまえばパラ子はそこに固定されてしまって消えてしまうけど、無数の作品が出来上がれば可能性も無数に存在するから自由に動けるのか。同じ仕組みでちゃんとプラスの展開に持っていくのがうまい。
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講義レポートから知り合って一緒にご飯行くとかやってみたい。普通に男同士でもそうやって友達作ってみたい。そういえば自分も実験の時にコミケで配布されたティッシュ使ったらそこから話が弾んで仲良くなった人がいたっけ。ヴァイオレット・エヴァーガーデンの上巻を貸し付けたまま会わなくなってしまったけど元気だろうか。
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「あったかもしれない」が結局日の目を見なかったアニメや漫画やゲームが、こいつの世界にはちゃんと存在して、放送され、出版され、発売されているんだ。
↑これは創作者たちに対する一種の救いのような文章になるような気がした。仕方なくあきらめざるを得なかった物たちにも日の目を見ることができた世界がほかに存在していたという救い。結局はおためごかしでしかないけれど、そういうものが大事な時もきっとある。 -
小説でも漫画でも、シナリオを考える人って、もしかしたら最強かもしれん。自分のどんな経験も「シナリオの題材候補」になってしまう。だから、あらゆる出来事を客観的に振り返ったり、創作物に昇華させてしまえる。ある意味超越的な視線を持つというか。
(これからの面接も就活を題材にしたシナリオの材料にしよう、というシーンから)
全体の感想・考えたこと
全体的に、「こんな体験をしてみたい」と思わせるシーンがてんこ盛りだった。
また、これはこの作品に限ったことではないが、人工くらげさんの作品は「感じたことはあるけど言語化まではしていなかった感覚」というものをうまくとってきて表現してくれることが多い。そもそもの目の付け所と、うまく言語化できることが両方とも卓越していると思った。物書きってこういう人たちなんだなあ。
この作品を読んでいて「お前ら、作りたいって少しでも思っているなら、思ったことがあるなら作れ!!」と激励されたような気がした。この作品の山賀もそうだが、できない理由を考えたらいくらでもあげることができてしまう。時間や作画、ソフトの取り扱い、文才、、などなど。でも、結局大事なのはそこではない。大事なのは、最初のほうでも引用したように「できるわけない、けどやってみたい」というまんざらでもないときに一歩踏み出すことだ。きっと今この瞬間にも、踏み出せた世界と踏み出せなかった世界で分岐している。そう考えると同じ自分でも踏み出せる世界はあるのだから、この世界の自分にもできる気がして来ないか?
今、自分にはやってみたいことがいくつもある。ブログ、コミケ参加、ノベルゲーム作り、ボカロ作曲、ギター、積読や積みゲーの消化、株、筋トレ、哲学、プログラミング、小説書き、イラスト、、、、、
これらに対して一歩踏み出すこと。
(この流れで書くと言い訳時見てしまうが)自分の考えでは「やりたいこと」には醸造期間というものがあると思う。
よく「やりたいと思ったらすぐやれ」と言われるが、それは思いのほか難しい。だから、やりたいと思ったら、その気持ちを忘れずに頭の片隅に入れておく。そうすると、ことあるごとに「そういえばこれやりたかったな」と思い出し、関連知識などにも興味が出て自然と憶えられるようになっていく。これが積み重なっていくことでやってみたい気持ちも大きくなっていくのに加え、「いざ始めたいけど何やればいいんだ」ということにもなりづらい。なぜなら、これまで醸造期間中にため込んできた知識があるから。だから、大事なのは不意に時間ができたときに行動に移せるように自分の「やりたい」を忘れずに醸造しておくことだと思う。
実際、今回のunvggもずっと頭の片隅にあったやりたいことの一つだ。
それをこうして実行できれば今回のように新たな気づきを得ることができてまたやりたいことが見つかったり、さらに思いが強まったりしていく。この繰り返しなのだと思う。
だから、すぐに行動に移せない自分を責める必要はないし、いつか来るときのために忘れずに寝かせておけばいい。
いろいろと語ってしまったが(それがブログの在り方なのでヨシ!)、それほど考えさせられたということだろう。本当に、いいゲームだった。これは、俗に言うものとはテイストは違うが、青春ものに分類していいと思う。3世界同時進行シーンは本当にアツかった。
というわけで、今回はこのくらいにしておこうと思う。次にやるのがノベルゲームかアクションゲームなのかまた別物なのかはわからないが、この作品を通して叩きつけられた熱とメッセージを忘れないで行きたい。ここまで読んでいただきありがとうございました!!