Child of Doppelganger-Prequel- 感想
はじめに
かなり久しぶりにブログを書くなあ、と思って過去の記事を見てみたら、前回の更新が3か月前だった。めっちゃ空いてるじゃん。(この文章を書いてから公開までさらに4か月かかりました)
一応理由がありまして、今年の4月に社会人になったことで自由な時間が大幅に減ってしまったのと、ボードゲームに時間を費やしたところ平日も休日も記事を更新する時間が無くなってしまいました。じゃあなんでこの時期、しかも平日の昼間に更新しているのかと言えば、コロナになって自粛期間中だからです。いやあ、コロナって初めてかかったけどかなりしんどい。インフルと違ってかなり長引くから地獄だった。今は咳と微熱はあれど「もう寝れません」というくらいには回復してきたので久しぶりに積んでいた作品をプレイしていた。
というわけで、今回は「Child of Doppelganger-Prequel-」というノベルゲームをやりました。

作品紹介
あらすじ
自閉スペクトラムの妹と暮らす私は先生から授かった予言の中で生きている。暗い水を否定する言葉はたとえ自分が人殺しになるものだとしてもとても優しいことのようだ。善なる神の瞑目、悪しき神が嘲笑するグノーシスの思想、時間の概念の放棄を命令する光子の振る舞い、幸福をもたらす内因性オピオイド、運命を告げるチャイムの音、山羊の歌、回転、そして言葉。これは蛹――ゴーレム――へと至るイニシエーション。運命に諦観し、愛を貪り、生を希求し、波の前で祈りを腐らせ、救いのない荒地の中からそれでも一つの結末を選ぶために奔走する。扉の先に広がる景色を求めて。
これ読んだとき、8割くらい何言ってるかわからなかった。残りの2割はフィーリングで分かったつもりになった。一瞬岡部倫太郎かと疑うレベルのワードチョイスでビビった。音読したくなる。とまあ冗談はさておき、どうやら自閉症も扱う作品らしいし相当に重いだろうなと覚悟して頂いたところでいざ本編へ。(ネタバレ含むので注意)
感想
理香子という一人の人間を、彼女自身の世界の見方を通して描き切った作品だった。特に印象的だった点を書いてみる。
- 作品の雰囲気
具体的な話はあとの自分なりほかの記事のお任せして抽象的な感想になるが、この暗澹たる感じがとてもよかった。そしてこのゲーム中はマイナス感情を持つことを推奨されている気がして、とても気持ちが楽になる。
普段はできる限りそれらの感情が生まれないようにして、生まれても見て見ぬふりをしている。だって、そうしないと自分はその対象をストレッサーとして認知してしまい、それ以降自分を苦しめる存在を増やすことになってしまうから。
すべては自分の考え方次第だと理解しているからこそ、未来の自分が苦しまないように「みんないい人、いい環境」と"定義する"ことで自分の認知を意図的にゆがめている。そうすることが自分が楽に生きていくことに繋がると学習した。
他にも、いい人と定義した人には自分も相応に接しようと思う(返報性の原理)ため、周囲からも「良い人」に映りやすく、(少なくとも表面上は)良好な人間関係を築きやすい。ただ、時々ふいに冷静になっていい人ぶっている自分を後ろから眺めているような錯覚に陥ることもある。
だが、これは自分の正直な気持ちに蓋をする行為であり、マイナスな感情を持つ自分を否定することで苦しくなるデメリットを持つ。
だから、どれだけ環境や周囲の人間関係が”恵まれて”いても、気持ちが落ち込むことがある。
そんな時、こういう作品に触れると「これはひどい内容、人物、状況だから存分に嫌悪していいよ」と言われた気がして、「ああ、ここでは自分の気持ちに蓋をしなくていいんだ」と感じてとても気が楽になる。
きっと悪感情と呼ばれるものたちを想起させる作品に需要がある要因にはこれもあるんじゃないだろうか。
- BGM
BGMの癖が非常に強い。だがそのどれもが素晴らしく、純粋に曲として好きになったのでとりあえずspotifyでお気に入りしながら読んでいた。ただ、曲が前面に出てしまっている感が否めないでもないのでBGMとしてはちょっと微妙かも。でも自分はこの曲たちを知れてよかったので満足。
- 各キャラのセリフ回し
どのキャラも、突然何かに憑かれたかのように滔々と語りだすシーンがよくあった。それがそういうキャラ、例えばこの作品における理香子や先生など、であればいいが、父親や周りの男たちまで語りだすと違和感がぬぐえなかった。思想を持つことは誰にでもできることだからいいと思うけど、哲学や科学などの専門用語を多用し始めると流石に首をかしげてしまう。まあ作品における登場人物は誰もが作者の投影なわけで、作者の思想を語らせるのはわかるけどもう少し物語との整合性をとってほしかったのが正直なところ。ただ誤解しないでいただきたいのが、「だからつまらなかった」ではないということ。出てくる用語は調べていて楽しかったし、思想には共感できたりできなかったり、理解すらできなかったりと様々だった。
何事においてもそうだけど、見聞きした知識と経験には圧倒的な断絶があることを実感した。そして、こういう症状の話の時って本人の苦しみにフォーカスされがちだけど家族の大変さがどれほどのものなのか、その一端を垣間見た気がする。こんなの介護する側も複数人で交代で見たりお互いに話しながらじゃないと精神が持たないよ。
こういう話を見聞きするたびに強まってしまう意見というか疑問がある。
お題はありふれたもので「あなたは将来子供がほしいですか?」というものだ。自分は生まれてくる子供がどんな状態であっても責任を取り切り、愛情を注ぐことができると断言できない。しかし、これは子供を持ってしまった親の義務だ。結婚は自分の行動に責任を持てる大人がするものだから、もし後悔してしまっても責任は50:50だし、最悪離婚すればいい。経歴に傷がつくとか周りからの目とかあるけど、それも考慮したうえで判断すればいいことだ。しかし出産は違う。生まれてきた子供に生まれてこようという意思はなく、気づいたらそこで始まっている。そのうえ、五体満足に生まれてこられない可能性もあり、もちろんここにも本人の責任はない。そんな子供に唯一与えられる絶対的なものが両親からの愛情であるべきだ。ここが揺らいでしまうことは子供の自我を形成するうえで大きなダメージを与えてしまう。ここまで考えたうえで、「もしこどもの顔が醜かったら?自閉症だったら?足が不自由だったら?」と問われて「それでも私は愛情を注ぎ、独り立ちするか自分が死ぬまで面倒を見ます」と言えないのであれば、それは不道徳なんじゃないか。自分も大体のことに関しては「そうなったときに考えればいい」と思っているが、一生にかかわることはそうはいかないし、そうしてはいけないと思っている。ましてや、まだ自分のことすらよくわかっていないのにもう一人抱えるとか。
プレイしてからかなり時間がたってしまったのでこれ以上感想をかけないのが悲しいが、4か月経った今でもBGMは聞き続けているので自分にとって印象深い作品だったことは間違いない。今になって記事を読み返すと「うわ重、、、」と自分で少し引いてしまう。
ゆるーくブログを書いているのでこんな風に放置してしまうこともあるが、あまり放置しすぎると当時考えたことなども忘れてしまうので、できるだけその場で書ききるようにしていきたい。