はじめに
自分語り開始!
昔から読書が好きな方だと自覚していたが、考えてみるとそれは中学生くらいまでの話で、大学に上がってから活字に対する集中力が著しく低下していることに気づいて愕然とした。
ほかの記事を覗いていただければすぐにわかることだが、自分はゲームやアニメなども好きで、そちらの方が軽く取り組むことができる(と思っている)。考えてみると、スマホを持ち始めたのが高校生からで大学からPCも与えられ、アニメやゲームに簡単にアクセスできるようになったことが、読書しなくなった原因といえるだろう。
しかし最近、そんな自分でも読書をできる方法を知ってしまった。もったいぶっているが、なんてことはない、外で読むというだけだ。外ならば家と違ってゲームやアニメに流れることもなく、カフェだったらコーヒーで眠くなることもない。今までは「カフェで勉強とか読書とか格好つけているだけ」と偏見に満ちたことを考えていたが、なるほどこれはいい。今まですいませんでした。
自分語り終了!
てなわけで、やっと本題に入ると、最近村上春樹に手を出しました。
感想
GWと今日で2冊読んだ。
毎回「自分はまだ2冊しか読んでないが~」などと前置きするのは面倒なので、わかったような口調に聞こえてしまっても堪忍してください。
やっぱり村上春樹の魅力はストーリー展開というよりは表現だと思う。昔1度ノルウェイの森を読もうとしたときは「1ページかけてなんも進んどらんやんけ!」となって閉じてしまったが、その時はまだ「作品の面白さ=ストーリー展開」としか思えていなかったからだと気づいた。あれから様々な作品(アニメ、ラノベ、映画、ゲームなど)に触れていくうちに、それ以外の演出もストーリー展開と並列で語るような要素なのだと思うようになった。(それでもまだストーリーを重視してしまうきらいはあるが。)
特に顕著だったのは、アニメ「映像研には手を出すな!」だった。あれを見たとき、生まれて初めてストーリーではなく”作品そのもの”に純粋に感動したのを今でも覚えている。
そんなわけで、表現の面白さを知ったからこそ、最後まで読み切る程度には村上春樹の面白さがわかるようになったともいえる。
①スプートニクの恋人
GWにここで初めてちゃんと村上春樹に触れた。
読んでから時間がたってしまったので、また今度読んで新鮮な時に書きます。
②風の歌を聴け
今回読んだ方。
村上春樹デビュー作にして、シリーズ3篇の第1篇。
まず感じたのは、スプートニクと比較してかなり読みやすい。文量もかなり少ないし。スプートニクがあって多少身構えていたが、単純に楽しんで読めたと思う。後日改めて事実関係や時系列を整理しようとしたが、思いのほか難しく、結局わからないことが増えてしまった。そのため、それらストーリーについてはいつか理解したときにまとめることにして、ここでは表現やシーンに絞って紹介していこうと思う。
- 気に入った場面
僕たちは知覚の自動販売機で缶ビールを半ダースばかり買って海まで歩き、砂浜に寝ころんでそれを全部飲んでしまうと海を眺めた。
・・・
僕たちはビールの空缶を全部海に向かって放り投げてしまうと、堤防にもたれ頭の上からダッフル・コートをかぶって一時間ばかり眠った。目が覚めたとき、一種異様なばかりの生命力が僕の体中にみなぎっていた。
大学生特有の青春という感じが伝わってきてとてもいい。自分だったら「空缶海に捨てるのはどうなんだ」とかつまらんことを考えるだろうから「これを自分もやりたい!」という憧れではなく、ただこの情景に憧れる。この感情伝わるといいけど。
確かにいい時代だったかもしれない。
年上の女性と60年代の話になった後、ミッキーマウスクラブの歌を口ずさんだ後のモノローグ。これだけ書いてもよさが伝わらないかもしれないが、この一言で場面が終わるのが簡潔でありながら余韻を残すというか、妙に心に残った。
「でもそれは天使の羽根みたいに空から降りてくるの。」
僕は天使の羽根が大学の中庭に降りてくる光景を想像してみたが、遠くから見るとそれはまるでティッシュ・ペーパーのように見えた。
天からの啓示を受けに来たという女と僕のやり取り。女と僕の感性がどれだけ離れているかよくわかる一文。ここを読んだとき想像してみて「確かにティッシュペーパーだわ」と僕に共感してしまった。
「君は何を学んだ?」
大気が微かに揺れ、風が笑った。そして再び永遠の静寂が火星の地表を被った。若者はポケットから拳銃を取り出し、銃口をこめかみにつけ、そっと引き金を引いた。
永遠に近い時を過ごしても何も学ばなかったということなのだろうか。風は肯定も否定もしなかったが、きっと若者は理解してしまったのだろう。それを、この3文できれいに表現しているのがとてもいい。
「ねえ、私を愛してる?」
「もちろん。」①
「結婚したい?」
「今、すぐに?」②
「いつか・・・もっと先によ。」
「もちろん結婚したい。」③
「でも私が訊ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ。」
「言い忘れてたんだ。」④
「・・・子供は何人ほしい?」
「3人。」⑤
「男?女?」
「女が2人に男が1人。」⑥
彼女はコーヒーで口の中のパンを嚥み下してからじっと僕の顔を見た。
「嘘つき!」
と彼女は言った。
しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。
うん?どれが嘘なんだ?情緒もへったくれもないが、理詰めで考えていこう。①~⑥に番号を振ってみた。
①:嘘の可能性あり。保留。
②:そもそも疑問文なので除外。
③:嘘の場合、女を愛しているし子供の内訳まで考えているのに結婚はしたくないことになる。心情は全くわからないが、嘘ではないとも言い切れない。保留。
④:僕は大事なことを言い忘れる癖があるのでこれは本当にな気もするが、わからない。保留。
⑤:ここで嘘をつく理由がわからないため除外。(お金ないから1人がいいけど見栄はっとこ)
⑥:男と女の内訳を偽る理由がない。(本当は全員女か全員男がいいんだけど引かれるかな|д゚)チラッ)
→①③④だが、①④が有力。
①:愛してはいないが家庭は欲しい。僕ならあり得る。
④:愛しているし家庭も欲しいが、自分から言いたくなかった。
①かなあ。
「しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。」を読んだときは理由はわからないが鳥肌がったのを覚えている。
幸せか?と訊かれれば、だろうね、と答えるしかない。夢とは結局そういったものだからだ。
この一文に僕らしさが詰まってる。あるがままを受け止め、流れに身を任せて生きてゆく。そう、まるで風のように。。。(タイトル回収でテンションが上がるオタク)
- 共感できた表現「ん?どゆこと?あ、ああ確かに」
村上春樹はこちらが理解できるのとできないのギリギリを攻めるのがうまい。
「もしもし、」と女が言った。それはまるで安定の悪いテーブルに薄いグラスそっと載せるようなしゃべり方だった。「私のこと覚えてる?」
女のこちらを探るような不安そうな声が聞こえてくるような表現。実際に口に出してみるとこんな感じ。「私のこと覚えてる?」(何も伝わらない)
ねえ、僕のことなら何も気にしなくていい。それでも気になるんなら公園に行って鳩に豆でもまいてやってくれ。
自分に向いている罪悪感を適当にほかに流すためにとっさに思いつくか?気に入ったから使ってみたいけどハードルが高い。「私に対する罪悪感だと?そんなものそこらの鳩にでも食わせてしまえ。」(某弓)
それは見た人の心の中の最もデリケートな部分にまで突き通ってしまいそうな美しさだった。
顔の造形とか表面的な「かわいい、きれい」ではなく、言語を介さない本能に訴えかけてくるような美しさってことかな。言語化できないけどそういう美しさもある気がする。
夏の香りを感じたのは久しぶりだった。潮の香り、遠い汽笛、女の子の肌の手ざわり、ヘヤー・リンスのレモンの匂い、夕暮の風、淡い希望、そして夏の夢・・・
しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、何もかもが少しずつ、しかし取り返しのつかぬくらいに昔とは違っていた。
確かに、同じような感傷に浸ることはあっても10代で感じたものをもう一度感じることはできない。その時の感性ではないから。これをトレーシング・ペーパーで例えるのはほんとにうまいと思った。これはとてもしっくり来た。
また、こういう表現は自分は1mmもそんな体験してないのに無性に懐かしくて切なくなる。(少年時代とかぼくの夏休みとかでも起きる)
この現象に名前を付けたい。
- 共感できそうでできなかった表現「あ、そういうね、ん?どゆこと?」
他人の家で目覚めると、いつも別の体に別の魂をむりやり詰め込まれてしまったような感じがする。
「なんか違和感ある」くらいならわかるけどそこまで強烈な違和感はないかなあ。
「宇宙の複雑さに比べれば」とハートフィールドは言っている。「この我々の世界などミミズの脳味噌のようなものだ。」
そうであってほしい、と僕も願っている。
あとがきのラスト。なぜ自分の作った世界(作品)が単純であってほしいのか。それとも「現実はもっと複雑であってほしい」という願い?どちらにしろ、どういう気持ちでこの一文を書いたのか、まだ自分の中でストンと落ちていない。けど雰囲気は好きだし、この1文で締めるのはかっこいい。
まとめ
好きな表現がたくさん見つかって読んでいてとても楽しかった。また、読了後に初めて読み合わせというものを行い、それがまた面白かった。自分が流していたところに面白さを感じていたり、逆に相手に面白いと思ったところを伝えるのが楽しい。学校の国語の授業はこうすればもっと楽しくなるだろうなと思った。
また、今回は読みながら面白いと思ったところや理解できなかったところなどすべてに付箋をつけてみた。あえて同じ付箋にすることで、次読むときに自分が「前の自分はここで何を思ったんだ?」と考えたら面白いのではないだろうか。完全に実験だが、ある程度忘れたころに読むのが楽しみだ。
「風の歌を聴け」はシリーズの1作目なので、次は2作目の「1973年のピンボール」を読もうと思う。どのくらい繋がっているのか、僕や4本指の女、鼠がまた出てくるのかわからないが、楽しみにしておこう。ただ、これ図書館で借りてきちゃったから付箋貼れないんだよなあ。。。
何はともあれ、ここまで読んでいただきありがとうございました!