作品に触れるときの心持とか

はじめに

ここ数年間で、アニメ、映画、漫画など創作物を見るときのモチベというか、心情が変わってきている。

 

昔(といっても2~3年前)

アニメとかにはまり始めた高校生くらいのころは、深いことを考えず手を出して「面白い!かっこいい!かわいい!感動!」などを強く感じてそれで満足、いい作品だと喪失感。。。といった感じだった。

つまるところ、深く考えずにただ純粋に作品にのめりこんでいた。

 

最近(大学入ったあたりから?)

時間ができたこともありどっぷりアニメにはまり、いわゆる名作たちを履修し始めた。

何回心を揺さぶられたかわからないほどだし、昔よりも圧倒的に共感できることも多くなった。

 

具体的には以下の変化があった気がする

見るまで

昔は時間さえあればパッと新しい作品を見始められたが、年を経るごとに腰が重くなっていく。

絶対に見ればはまるよかんがあっても、なぜか見る気が起きず、結果スマホをいじって時間が消えていく。もったいない!!!

 

共感する人物

高校生の時は主人公に共感できるかどうか、それが作品にはまれるかどうかの分水嶺だった。

一方、最近ではむしろ主人公よりも周りの大人に共感することが多くなり、主人公や仲間たちを見ていると「もっといい方法があるだろ!」などと言ってしまうことも少なくない。

これは、自分の考え方が近い方に共感しているのだと思う。

大学生になって、これからのこと、働くということ、自己責任、お金、友人、家族、、、、など考える機会は多くなった。

その結果、自覚はしていなくても少しは心が成長したということなのだろうか。

しかし、それは嬉しくもあるが同時に残念にも思う。

なぜなら、主人公の、ある意味では未熟な心情に共感しきれないのはどう考えても作品を楽しむうえでマイナスだからだ。

主人公たちのやり取りを見ても、常に「これは周りの人からはどう見えているのか」と気になってしまう。

また、主人公たちの未熟さにやきもきしてしまうのもあるが、これは自分がもっと年をとったら受け入れて楽しめるようになるのではないかと思う。

 

圧倒的な力を持つ者に対してどうやって人は折り合いをつけ、対応するのか。

最初に見たときは「主人公以外全員プログラムの世界で俺ツエエして何が面白いんだ?」と思ったが、主人公よりも周辺国の人たちに目を向けてみたら面白かった。

一周目を見た当初は阿良々木くんの必死に戦う姿をみてはまったし、かっこいいと純粋に思った。

大学に入ってから見てみたら、当時はただの不気味な奴だと思っていた貝木の考え方にほれ込んでしまった。

ただ、これは原作を読んで貝木のモノローグをちゃんと読んだから、というのもある。

 

客観視

作品を見て感動しているとき、興奮しているとき果たしてそれは本当に心からそう思っているのか?

 

作品には定期的に「見せ場」があって、そこで製作者は視聴者を笑わせ、怒らせ、悲しませ、興奮させ、様々な感情を引き出そうとする。

昔はそんなもの意識せずに本能的に感情を動かしていた。

しかし、ある程度の数の作品を見ているとどこが見せ場か、どう感じさせたいのかなどがなんとなくわかるようになってくる。

すると自分は無意識に思ってしまう。「ここで笑うべき、泣くべき、etc...だろう」と。

あくまで心の隅でそう思ってしまうのであって、本当に義務的になっているわけではないとは思うが、情けない話、どういう経緯をたどって自分が感動しているのか自分にもよくわからない。

 

感動して涙を流しているときにもどこかに冷静な自分がいて、「お前は今意図的にその感情に浸っている」と言ってくる。ような気がする。

つまり、「感動シーン」「感動する」の二つの事象の時系列がわからない。

(どっかの青タイツの槍でも受けたのか?)

 

この現象のせいで、毎回「自分は本当に感動してるのか?」と疑問をぬぐうことができず、作品に没頭できないのが悩みでもある。

 

現在試聴中。この記事を書こうと思ったきっかけ。

ずっといろんなところで面白いと聞いていて、満を持してみている。

本当に面白いと思うし、感動もしている。

ただ、それが純粋に感動しているのか、そういうシーンだから自動的に悲しむモードになっているのかわからなくてもやもやする。

今8話を見終わったところ。

こんなの書いてないでとっとと見ろって話だが、もやもやしたまま見るには惜しい名作なので、ここで全部吐き出してすっきりしてから見たい。

といっても明日は朝から作業があってもう寝ないといけなという(´;ω;`)

 

  • ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン(例外)

これはそんなこと考えなかった(気がする)

というかそんな暇ないくらい感情を揺さぶられ続けていた。

名作です。

 

考えるようになった

作品を見るとき、キャラの心情、シナリオだけでなく、作品全体の構成やメッセージ性などにも目が行くようになった。

これは原因の一つにブログを書き始めたのがあるかもしれない。

ブログにしようと思うと、見ながら「どんなこと書こうかな」とネタを探してしまう。

その結果、考えながら見ることになるのかもしれない。

常に頭を動かすことになるので「純粋に楽しむ」からは離れてしまうデメリットがあるが、より深く作品を楽しめるという点ではいい事な気がする。

 

他種族との価値観、生体、寿命の違い、それを自覚したうえでの歩み寄りなど

アンドロイドと人間の違い、生死の考え方などSF関連のテーマ

(詳しくはそれぞれ書いたブログを読んでいただけると嬉しいです)

不死である主人公。それを取り巻く人たち。生きるとは何なのか。人と人とのつながり。

 

共感できる守備範囲

高校生のころと比べて圧倒的に共感、感動できるシーンが増えた。

これは、自分の経験が増えたことでキャラの心情に近いことを感じた経験がある頻度が上がったのだろう。

これは単純にうれしい変化。

部活で目的やモチベーションの違う人たちをまとめる難しさ。

同じ空間にいろんな人がいることによる感情の機微。

部活をやめる人、続ける人、戻ってきたい人、やめた人との関係。

そして、これらを乗り越えたうえでみんなが一つの演奏を作り出すことができたのならその感動はとてつもなく大きいだろうと、たとえ自分がこの成功まで到達していなくても想像できる。

当時何の後悔も残さずうまくやれたといえないのが痛いところではあるが、やれるだけのことをやり切ったからこそ、この作品をちゃんと楽しめたと思う。

もし今でも大きな公開があったら、この作品は心をえぐられて完走できなかっただろう。

 

ここで 

  • SAO

「大学入ってからモテまくってキリトの気持ちめっちゃわかるようになった。」( ー`дー´)キリッ

とか言ってみたかった。

 

最後に

書いてたら結構すっきりした気がする。

結局何かが解決したわけではないけど、もやもやするときは全部書き出すに限る。

みなさんにはそれに付き合ってもらって申し訳ない限りだが、もしこれを読んで共感とか単純に面白いと思ってもらえたらこれほどうれしいことはない。

ここまで読んでくださりありがとうございました!