あらすじ
バトーの与えた天然オイルが原因で同期から外れてしまったタチコマは町へ繰り出した。
そこで飼い犬を探す少女と出会い、一緒に犬を探すことになる。
少女が「きっとそこにいる」といっていた海の見える公園にはお墓があり、犬はすでに死んでしまっていた。
帰ってきてから、鑑識がタチコマの持ち帰った電脳を調べるが、これは映画監督の脳と脊髄を切り離したものだった。
彼は生前(肉体を持っていたころ)はお金がなくまともな映画を作れなかったため、自身の脳内で理想の映画を作り上げ、そこに人を誘い込んでいたのだ。
感想
今回のテーマは「人の心とAI,生命体としての肉体と機械の体」だと思う。
タチコマは「自分は死ぬことはないから死という概念はわからない。だから死ぬことが悲しいのもわからない。」といった。
一方、映画監督の男は自らの肉体を捨て、機械の箱の中に心を映し、その映画は観客を離さないほどすばらしいものだった。
この差はどこから生まれるのか。
それは「その自我が寿命のある器の宿主になったことがあるか」だと思う。
だから、もしタチコマが人間や犬などの体に自我を移してしばらくすれば感情などもついてくるのではないだろうか。
個人的には、少女の話していた絵本の内容が結構好きだった。
「金魚が死んでいることを大人たちが知ったら、きっと心配されるし、自分はもう十分悲しんだから。」
かなり達観してるなあ、とは思ったけど、納得してしまった。
今回は半分まで来たこともあり箸休め回だったように思う。
割とぼーっとしながら見ていられた。